千葉市は、太平洋戦争前は、陸軍の施設が多く集まる軍都でした。

千葉市には、歩兵学校、戦車学校、飛行学校、鉄道連隊、気球連隊、陸軍病院などがありました。

昭和初期には、千葉市民の10人に1人は、陸軍関係者との記録もあります。

千葉公園には、鉄道連隊が演習で作ったコンクリート製のトンネルや橋脚が今でも残っています。

ちょっと前になりますが、作草部にあった気球連隊の格納庫が解体されマンションになってしまいましたが、

その鉄骨材を使ったモニュメントも千葉公園にあります。

 


千葉県庁の南の羽衣公園に「羽衣の松」があります。

昔、亥鼻城(千葉城)下に、せんよう(千葉)の蓮の花が咲きほこる「池田の池」があり、

多くの見物客が訪れていました。夜半には天女が羽衣を松にかけ、蓮の美しさに見入っていました。

時の城主、平常将がそれを知り、家来に松にかけられた羽衣を隠させ、天に帰れなくなった天女を妻にし、

常将との間に男の子が生まれました。その話に感銘した天皇から、

平常将は「せんようの蓮の花」にちなんで「千葉」と名乗るよう仰せつかったとのことです。

それが、千葉氏、ひいては、千葉県の始まりとの謂れがあります(諸説ありそうです)。

羽衣公園には、昭和60年に設置された由来を書いた看板が設置されています。